RUN-DMCは、何が画期的だったのか?

The Rock Steady Crew
The Rock Steady Crew (1980s)
左端が(プリンス)ケン・スウィフト

ロック・ステディ・クルーのケン・スウィフトが
スニーカーをBボーイのマストアイテムにした。

2005年に公開されたドキュメント映画
ジャスト・フォー・キックス」のインタビューより。

1970年代よりグラフィティ・アーティスト/デザイナーとして、
ニューヨークを拠点に活躍するフューチュラ2000氏の言葉です。

ヒップホップの先駆者が
スポーツシューズをファッションにした

ロック・ステディ・クルー(Rock Steady Crew)は1977年にニューヨーク・ブロンクスで結成されたブレイクダンス/ヒップホップのパイオニア的なグループ。

確かに1983年公開の映画ワイルド・スタイルを見ると、コールド・クラッシュ・ブラザーズの曲に合わせて踊るケン・スウィフトはアディダスのスニーカーを着用しています。



同じくロック・ステディ・クルーのメンバー、ドーズ・グリーンによると

自分はプーマのスエード派だが
Bボーイが履いていたのは初期のスーパースターだ
履いてるヤツは多かった。

と語っています。

1980年代初頭、ニューヨークのアンダーグラウンド界隈では、
スポーツブランド「プーマ」や「アディダス」がストリートファッションのアイテムとして定着し始めていたことがわかります。

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プーマのクールなスエードや
派手なカラー・バリエーションの洋服、
例えば、リーのジーンズは
色が豊富だった。

それにル・ティグレの
マルチカラーのシャツ。
80年代は
カラフルな時代だったよ。

ブルックリン生まれの写真家ジャメル・シャバズ氏が発表した写真集「Back in the Days」には当時のBボーイ/Bガール達の着こなし、いわゆる「オールドスクール」なYOU達が鮮やかに記録されています。

1980年代初め、NYC界隈のYOUたち

Le Tiger 1981
Untitled. 1981
via. Jamel Shabazz

ル・ティグレ(Le Tiger)のマルチカラー・ポロのブルーとメッシュキャップの色を合わせ、ゴールドのアイテムでゴージャス感を演出する1981年のYOU

A man poses with a boombox in Brooklyn (1980)
A man poses with a boombox in Brooklyn (1980)
via. Jamel Shabazz

シャープ製、レコードプレイヤー装備のブームボックス(ラジカセ)「VZ-V2」とポーズをとるブルックリンのYOU。バーガンディーのアディダス・キャンパスに同色のファットレースをカスタムし、ジャケットのカラーととコーディネートしています。

A man strikes a pose in Brooklyn.(1980)
A man strikes a pose in Brooklyn.(1980)
via. Jamel Shabazz

襟付きのベスト・スーツスタイルにゴールドのロープチェーンでゴージャスにきめたYOU。金のブレスレット、リング、仕上げにゴールドのグリル(金歯)でポーズ。

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Two Guys Looking at Sunglasses 1981
Untitled (Two Guys Looking at Sunglasses 1981)
via. Jamel Shabazz

ショーウインドーの眼鏡を見るYOUたち(1981年)。右の彼が指差す先にはカザールのサングラス「607」モデルが。左の彼はカンゴールのバケット・ハットを着用しています。

Untitled, Brooklyn, New York City
Untitled, Brooklyn, New York City (c.1983)
via. Jamel Shabazz

アディダス、ナイキ、プロケッズ… 1983年頃のシューズショップのショーウィンドウ。
スーパースター、プロモデル、キャンパス、ジャバー、トップテンなどアディダスの主力商品はバスケットシューズ。

そのなかにアディダス・トップテンやヨーロッパに似たナイロンメッシュの廉価モデル「リバウンド」(キャンパスの右がハイカット、左がローカット)など珍しいモデルも。

Untitled, Brooklyn, New York City (c.1980)

関連記事:1970年代の雑誌広告に見るアディダス・バスケットボール・シューズの世界

Men on the Lower East Side. (1982)
Men on the Lower East Side. (1982)
via. Jamel Shabazz

マンハッタン・ロウアー・イースト・サイドのYOUたちは、モノトーンでキメた初期Bボーイのお手本のようなコーディネート。中央のYOUはブラックジーンズにブラウンのワラビーを。左端、右端のYOUはアディダス・スーパースターをチョイス。

さらに黒のストライプには黒のファットレースを、赤のストライプには赤のファットレースをカスタムしています。
自慢のラジカセは3ウェイスピーカー。シャープのGF-9696。

Jamel Shabazz 1980s ladies
Untitled.(c.1980)
via. Jamel Shabazz

ミニスカートにレザージャケット、ヒールでドレスアップしたウィメンズYOU。フープピアスをアクセントに。それぞれトップスとバケットハットを同色にコーディネートしています。

Jamel Shabazz 1980s old school brother coordinate
Untitled.(c.1980)
via. Jamel Shabazz

(おそらく)ステットソンのハット、ホワイトレザー/ブラックストライプのスーパースター、カザールのアイウェアから、サイドステッチが同じジーンズまでお揃いの双子コーデ。トップスとアウターのチョイスで個性を出しています。

音楽評論家アンドリュー・エメリー氏は、著書「ヒップ・ホップ・カバーアート」で当時のファッションをこう表現しています。

どんな音楽もスタイルを持っている。モーツァルトのかつらから’60年代のポップミュージックの細身のスーツ、パッケージされたボーイズグループやガールズグループまで、どれほど音楽が異なっていても、ミュージシャンの外見はまとまっているように思える。初期のヒップホップのその通りである。

結束力が強く地元に根付き、’70年代後半のニューヨークのギャング・カルチャーから発生した頃には、すでに何を着るべきか青写真が出来上がっていた。

ディスコはもはや廃れかけており、ニューヨークには新しいサウンドや新しい衣装(太い靴ひもや大きなベルトのバックス、カザール)が誕生していた。

クラブシーンの外で、ラップは公園やストリートでのジャムから成長していったが、これは違法行為であったので行政は取り締まり、罰金を徴収していた。

公園でのジャム・セッション「ブロックパーティ」は地区・地域のお祭りというと聞こえはいいですが、街灯の電源から無断で電気をひき、サウンド・システムを大音響で鳴らすなど無許可でDIYなゲリラパーティー。

South Bronx Park Jam, 1984 South Bronx Park Jam, 1984.
via. Henry Chalfant

さらにパーティはボール・ルームや、ローラー・リンク(ローラースケート場)などを会場に拡散していきます。

当時のパーティー・フライヤーから

Savoy Manor, July 17, 1981
Savoy Manor, July 17, 1981
via. www.cornell.edu

ニューヨーク州ブロンクスのボール・ルーム(今のクラブ)「サボイ・マナー・ボールルーム」でのヒップホップ・パーティーのフライヤー(1981年7月17日)
「ノー・スニーカー」とドレスコードが指定されています。

Mosque Roller Rink, Aug. 8, 1981
Mosque Roller Rink, Aug. 8, 1981
via. www.cornell.edu

1981年8月8日、アメリカ・コネチカット州ブリッジポートのローラースケート場
「モスク・ローラー・リンク」でのパーティー・フライヤー。
出演:

  • グランドマスター・フラッシュ&ザ・フュリアス・ファイブ
  • アフリカ・バンバータ
  • ジャジー・ジェイ
  • コールド・クラッシュ・ブラザーズ
「ノー・スケーティング。ダンシング・オンリー」と書かれています。

Stardust Ballroom, Feb. 26, 1982
Stardust Ballroom, Feb. 26, 1982
via. www.cornell.edu

会場はブロンクスのスターダスト・ボール・ルーム(1982年2月26日)。

  • L.A.サンシャイン(トレチャラス・スリー)
  • フィアレス・ フォー
  • ナイス・アンド・ナスティー・スリー
らをゲストに行なわれたパーティーイベントのフライヤー。

ヒップホップグループ「Run–D.M.C.」のDMCことダリル・マクダニエルズ氏のインタビューによると

昔のラッパーは「ショー」をしていて
そのフライヤーがカッコよかった。

アディダスの靴に
モックネックとスウェット
キマってたよ。

ニューヨークの限られた界隈では、
アディダスが「すでに人気のあった」ローカル・ファッションであったことを
DMC氏本人も認めています。

しかし、「フィアレス・フォー」「グランドマスター・フラッシュ&ザ・フュリアス・ファイブ」「コールド・クラッシュ・ブラザーズ」といったヒップホップの先人たちはレコード・デビューするとビジュアルのイメージを一新。

DMC氏も当時のことをこう言っています。

ヤツらのレコードが出て
驚いた。
一体何があった?

ヤツらに一体何があった?

before

Grandmaster Flash & The Furious Five
Grandmaster Flash & The Furious Five

after

Grandmaster Flash & The Furious Five
Grandmaster Flash & The Furious Five


before

Grandmaster Caz
Grandmaster Caz

after

Grandmaster Caz
Grandmaster Caz


before

Fearless Four
Fearless Four

after

Fearless Four
Fearless Four


before

Afrika Bambaataa & Soulsonic Force
Afrika Bambaataa & Soulsonic Force

after

Afrika Bambaattaa & the Soulsonic Five
Afrika Bambaataa & Soulsonic Force
via. George DuBose

アフリカ・バンバータ&ソウル・ソニック・フォースのポートレートを撮影した写真家ジョージ・デュボース氏は、アートワーク本「ヒップ・ホップ・カバーアート」のインタビューで当時のことをこう語っています。

音楽の歴史上、あんな派手な服装は他にないと思ったね。ヒップホップの初期では現在の有名なデザイナーブランドはまだ存在していなかったから、あんな服装が典型的なものだったんだ。メッカもトミー・ヒルフィガーもパフ・ダディもカール・カナイもなかった頃さ。


ロック・ステディ・クルーのドーズ・グリーンはこう分析

毛皮やナチ帽みたいなのに、
トゲトゲのアクセサリー。

カオスだった。
よくわからないけれど。

パンクとファンクとの融合だ。

あのスタイルは、
おそらくファンカデリックやパーラメント。

1970年代のブラック・ロックスター、
ブラック・スーパースターから来ていると思う。


RUN-DMCはシングル「イッツ・ライク・ザット」でのデビューが1983年11月1日。

ニューヨーク・クイーンズ区出身の
彼らのコンセプトは「リアル」でした。

ストリートウェアでステージに上がった
初めてのラップグループ

RUN-DMC
初期のRun–D.M.C.。

左から
ダリル”D.M.C.”マクダニエルズ、
ジャム・マスター・ジェイ、
ジョゼフ “Run” シモンズ

ある金曜日に俺の人生を変える曲を聴いたんだ。遊びに出掛ける前に友人と安いビールを飲みながら、Kiss FMのヒップホップ番組『Zulu Power Hour』を聴いていた。その時に彼らの『Sucker MC’s』を初めて聴いたんだ

トミー・ボーイ・レコードのA&Rとしてデ・ラ・ソウルを担当したダンテ・ロス氏はRedbullのインタビューで、自分の人生を変えた存在としてRun DMCをあげています。

まるでBad Brainsを初めて聴いた時のような衝撃だったよ。凶暴でミニマルで、荒々しいサウンドで、ラップもタイミングが面白く、複雑で素晴らしかった。強烈なドラム、正確なスクラッチ、そして迫力あるラップはまるで耳元で叫ばれているようだった。


グラフィティ・アーティストでラッパー、
ビジュアル・アーティストの「ファブ5フレディー」によると

初めて彼らを見た感想は
“怖そうな連中”

革のブレザーに
マフィア風の帽子
ゴッドファーザー・ハット

ブラックジーンズにアディダス
そんな格好ができるのは
本物のワルだ。

ビジュアルのコンセプトは
ジャム・マスター・ジェイの「私服」のイメージを
グループのアイコンにすること。

JAM MASTER JAY
ジャム・マスター・ジェイ
via. Glen E. Friedman 1980s

ランDMCのメンバー、DMC氏によると

ある日
(ジャム・マスター)ジェイが現れて
ジェイは、黒い革のブレザーを着ていた。

黒い革のパンツに
ハイネックにゴールドチェーン
靴はアディダスで首に靴ひも

ラッセル・シモンズは言った

“衣装はない”
“今後は、この格好をしろ”

Run DMC at Mandel Hall Chicago Illinois (1985)
Run DMC at Mandel Hall Chicago Illinois (1985)
via Paul Natkin

Run-DMC with Russell Simmons
プロデューサー、ラッセル・シモンズ(右から2番目)とRun-DMC(1985)
via. James Hamilton

Run-DMC 1980s
Run-DMC (1980s)
via. Lawrence Watson

Run-DMC 1980s
Run-DMC (1980s)
via. Lawrence Watson

Run-DMC and JAM MASTER JAY fall 1985
Run-DMC and JAM MASTER JAY
fall 1985 Hollis Queens New York. (1985)
via. Glen E. Friedman

Run-DMC (1988)
Run-DMC (1988)
via. Record Mirror

Run-DMC 1988
Run-DMC (1988)
via. Angus McBean


プロデューサーとしてRUN-DMC最後のアルバム
「クラウン・ロイヤル」に参加したダンテ・ロス氏は語ります。

「Run DMCは観客と同じファッションをした初めてのラップグループだった。デビュー当時からB-Boyだったんだ。」

Run DMC & Posse Hollis Queens 1984
地元クイーンズ・ホリスのYOUたちと(1984)
Run DMC & Posse Hollis Queens 1984
via. Janette beckman

靴ひもをしないで
アディダスを履く

この靴は盗んだんじゃない
ジーンズと最高のコンビだから
買ったのさ

盗もうとしたヤツがいたんで
戦った

俺は街を歩く
ビートにのせて

ジーンズはLee
そしてアディダスを履く

俺は2-5thストリートに立つ
マイ・アディダス

RUN-DMC「マイ・アディダス」より


#RIP #JamMasterJay #RUNDMC #Hollis #Queens #205thstreet #90elm

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大ヒット作「マイ・アディダス」の歌詞の舞台となったニューヨーク・クイーンズ区「205ストリート」。DMC氏いわく「よく、たむろしていた場所」。

現在はホリス・アベニューと交差する街路を、
Run-DMCと2002年凶弾に倒れたメンバー、
ジャム・マスター・ジェイに敬意を評し
「RUN DMC JMJ WAY」と命名されています。

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