アディダス スーパースターを愛したレジェンドたち [ NBA/ABA ]

New York Nets vs Carolina Cougars (1973)

New York Nets vs Carolina Cougars (1973)
via Getty Images

「NBAプレーヤーの75%以上が使用した」

アディダス・スーパースター誕生35周年を記念して、2005年のプレスリリース用に書かれたキャッチコピーです。

さらに50周年のプロモーションでは「85%の選手が着用した」とアピールしています。

数値の正誤はさておき、当時のNBAファイナルやオールスターゲームでの写真を見ると、1970年の半ばに「アディダス・ブーム」が到来したことは容易に想像できます。

1970年に誕生し、数年でNBAプレーヤーを魅了したというスーパースター。

ここではスポーツ雑誌用に撮影されたアーカイブフォトを頼りに、アディダスを愛した1970年代のレジェンド達を振り返ってみましょう。
 
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Kareem Abdul-Jabbar(カリーム・アブドゥル・ジャバー)

Kareem Abdul-Jabbar Milwaukee Bucks (1970s)

Kareem Abdul-Jabbar Milwaukee Bucks (1970s)
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通算得点はNBA歴代1位の3万8387点。必殺技はブロック不可能「スカイフック」。

カリーム・アブドゥル・ジャバーは1969年から1989年の20年間、ロサンゼルス・レイカーズとミルウォーキー・バックスのセンターとして活躍したレジェンドプレイヤーです。

UCLA時代にはコンバースのローカットを愛用していたジャバーは、プロ入り後の1969年頃から、アディダス・スーパースターを採用。ミルウォーキー・バックス時代にはノーシェルタイプやスエードアッパーのプレイヤーズ(別注)モデルを着用しています。

さらにロサンゼルス・レイカーズ移籍後の1976年には、アディダス社と「スーパースターのアイコン」としてシグネチャー契約を締結。1980年代の終わり頃までノーシェル、ハーフシェルタイプのスーパースターを愛用しています。

John Block(ジョン・ブロック)

John Block San Diego Rockets (1971)

John Block San Diego Rockets (1971)
via Getty Images

南カリフォルニア大学出身。1966年ドラフト3巡目指名でレイカーズに入団。

翌年1967年、サンディエゴ・ロケッツ(現ヒューストン)が誕生したタイミングでレイカーズから移籍。NBAオールスターゲームにはシクサーズ時代の1973年に出場しています。

ジョン・ブロックは突出した成績を残した選手ではありませんが「アディダスの歴史」のなかでは重要人物のひとり。

スーパースター開発者のインタビューでは「アメリカでは誰も反応がなかったアディダス製バスケットボールシューズを、初めて気に入ってくれた選手がジョン・ブロック」として紹介しています。

さらにアディダス最初期のバスケットボールカタログには「期待のプロフェッショナルスター:ジョン・ブロック」として登場しています。

関連記事:アディダス・スーパースター(adidas Superstar)

John Havlicek(ジョン・ハブリチェック)

John Havlicek Boston Celtics (1969)

John Havlicek Boston Celtics (1969)
via Getty Images

プロキャリアは1962年から1978年まで。
スモールフォワードとシューティングガードをこなす「スウィングマン」として、名門ボストン・セルティックスを8回の優勝に導いたレジェンド。

NBAオールスターゲームへの出場13回。1974年にはNBAファイナルMVPに輝き、「17」はセルティックスの永久欠番になっています。

試合でのシューズは、カレッジバスケ時代からセルティックス入団後も愛用していたコンバースに加え、1969年頃から「アディダス・スーパースター」の特注モデルを採用。

セルティックスカラーのグリーンストライプに加え、グリーンスエード、グリーンレザーアッパーのノーシェルタイプ。さらにオールスターゲームではレッドストライプ、レッド/ブルーストライプのスーパースターを着用しています。

Dave Cowens(デイブ・コーウェンス)

Dave Cowens Boston Celtics (1970)

Dave Cowens Boston Celtics (1970)
via Getty Images

ビル・ラッセルが築いたボストン・セルティックスの黄金時代を新センターとして引き継ぎ、チームを2度の優勝に導いた名選手。

「スターではなくワーキングクラスの代表」を自称するラッセルの、アグレッシブなプレイはファンを魅了しました。

1971年NBA最優秀新人賞受賞。1973年シーズンMVPを獲得。オールスターゲームには1978年までに連続7回出場しています。

キャリアのピークを迎えたセルティックス時代の愛用シューズは、チームカラーの別注「オニツカ・ファブレ」や「コンバース・ワンスター」のハイカット、「ナイキ・ブレーザー」などバリエーション豊富。

アディダスはグリーンスエードの「スーパースター」やグリーンレザーの「プロモデル」を愛用しています。

Bill Russell(ビル・ラッセル)

Bill Russell #6 vs Wilt Chamberlain #13 (1969 NBA Finals)

Bill Russell #6 vs Wilt Chamberlain #13 (1969 NBA Finals)
via Getty Images

1956年からの13年間のプロキャリアで、ボストン・セルティックスをNBAファイナル8連覇を含む、11回の優勝に導いた伝説のセンター。

208cmの長身に俊敏さを兼ね備え、最大の武器となるブロックショットと鉄壁のマンツーマン・ディフェンス。さらに究極のチームプレイヤーとしてセルティックスの黄金時代を牽引しました。

メルボルンオリンピック金メダリスト。NBAオールスターゲーム出場12回。1963年にはオールスター最優秀選手賞を受賞。シーズンMVPは5回獲得。1980年には全米バスケットボール記者協会が選ぶ「NBAの歴史の中で最も偉大なプレーヤー」に輝いています。

キャリアを通して「コンバース」や「ブリストル」のキャンバスシューズを愛用したビル・ラッセル。

現役最後となる1968-69シーズンには、セルティックスカラーの「アディダス・スーパースター」をチョイスしています。

Artis Gilmore(アーティス・ギルモア)

Kentucky Colonels Artis Gilmore (1975)

Kentucky Colonels Artis Gilmore (1975)
via Getty Images

1970年代初頭から1980年代の終わりまでABA、NBAで活躍した名センター。

かつて存在したケンタッキー・カーネルズを強豪チームへと導き、1975年にはファイナル制覇に大きく貢献しました。

アーティス・ギルモアはアディダスを1970年頃から1979年頃まで、ジャクソンビル大学時代からABAカーネルズを経て、ブルズ時代まで愛用。

ハイカット「プロモデル」を着用するギルモアの姿は、ジャバー前夜のアディダスの「顔」として何度もプロモーションに登場しています。

Bill Walton(ビル・ウォルトン)

Bill Walton Portland Trail Blazers (1977)

Bill Walton Portland Trail Blazers (1977)
via Getty Images

名門UCLA出身のデッドヘッズ(ロックバンド「グレイトフル・デッド」の熱烈なファン)で、伝説のコーチ「ジョン・ウッデン」の教え子としても知られるビル・ウォルトン。

ブレイザーズ在籍の1976-77シーズンには、大学の先輩ジャバー在籍のレイカーズを破りファイナルへと進出。シクサーズを下し優勝しています。また個人ではファイナルMVPを獲得、絶頂期を迎えます。

UCLA入学直後からNBAのキャリアを通し「スーパースター」と「プロモデル」を愛用。後期セルティックス時代には「トップテン」のハイカット、ローカットを着用しています。

George Gervin(ジョージ・ガービン)

George Gervin San Antonio Spurs (1976)

George Gervin San Antonio Spurs (1976)
via Getty Images

ABA時代のサンアントニオ・スパーズ移籍後から頭角を現し、NBA編入後から黄金期へと大きく貢献した名選手。

ニックネームは「アイスマン」。ロサンゼルス・タイムズのインタビューによると、名付け親はスクワイアーズ時代のチームメイト、ジュリアス・アービングとローランド・テイラーで、その由来について「試合中に汗をかかないから」「プレイが冷静なので氷でできているのでは」と答えています。

ナイキの広告写真から、シューズは「ナイキ・ブレーザー」の印象が強いガービンですが、スクワイアーズ入団後の1972年からスパーズ移籍後の1970年代の終わりまでは、アディダスの「プロモデル」を愛用しています。

Marques Johnson(マーケス・ジョンソン)

Marques Johnson Milwaukee Bucks (1981)

Marques Johnson Milwaukee Bucks (1981)
via Getty Images

UCLAではシアターアートを専攻。カレッジバスケでは1975年に優勝を果たし1976年にはプレーヤー・オブ・ザ・イヤーを、1977年にはジョン・ウッデン賞の第1回受賞者として選出されています。

1977年NBAドラフト3位指名でミルウォーキー・バックスに入団。1989年までスモール・フォワードとして活躍し、オールスターゲームには計5回出場しています。

UCLA時代からハイカット「プロモデル」を愛用。黄金期のバックス、クリッパーズ時代までノーシェル、ハーフシェルタイプのプロモデルを着用しています。

Jerry West(ジェリー・ウェスト)

Jerry West Los Angeles Lakers (1970)

Jerry West Los Angeles Lakers (1970)
via Getty Images

NBAロゴの「シルエット」のモデルとして知られる、1960年代から70年初頭を代表する名ポイントガード/シューティングガード

ニックネームの「ミスター・クラッチ」は、ピンチの時(clutch situation)にファインプレーを決めることから。

伝説のロングシュート、1970年NBAファイナルでの60フィート(約18メートル)のブザービーターは、ジェリー・ウェストのベストプレーのひとつです。

1960年代のキャリアを通し「コンバース・オールスター」を愛用していたウェストも、1970年から引退の1974年まで「アディダス・スーパースター」を着用。ゴールド・ストライプのスーパースターはレイカーズ別注モデルです。

Gail Goodrich(ゲイル・グッドリッチ)

Gail Goodrich NBA All-Star Game (1972)

Gail Goodrich NBA All-Star Game (1972)
via Getty Images

NBA史上最長となる「33連勝」を記録し、ロサンゼルス移転後、初のファイナル優勝となった1971-72シーズンのレイカーズ。ゲイル・グッドリッチはジェリー・ウェストと共にバックコートコンビとして活躍し、さらにチーム内最多得点者として優勝に大きく貢献しました。

左ききの選手としても知られ、オーランド・マジック・ドットコムの責任者、ジョシュ・コーエンが選ぶ「NBA史上最高のレフティー・ランキング」では堂々9位に輝いています。

UCLA時代から愛用していた「コンバース・オールスター」のハイカットに加え、レイカーズ復帰後「アディダス・プロモデル」を着用。1971年頃からジャズ移籍前の1976年頃までゴールドストライプの「プロモデル」を愛用しています。

Bob McAdoo(ボブ・マカドゥー)

Bob McAdoo Buffalo Braves (1975)

Bob McAdoo Buffalo Braves (1975)
via Getty Images

21シーズンのプロキャリアの中で、14シーズンをNBA。7シーズンをイタリアリーグ「レガ・バスケット・セリエA」で活躍した名センター/パワーフォワード。

206cmの長身ながら、ペリメーターからのシュートを得意としたモダンなプレイが特徴。

プロ入りしたバッファロー・ブレーブスでは新人時代からエースとして活躍し、初年はルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞。1973-74シーズンには、フィールドゴール成功率54.7%を記録。3年連続得点王(1974–1976)に輝き、1975年にはNBA最優秀選手を獲得しています。

アディダスは「プロモデル」をブレーブス時代から愛用。移籍後もニックスやレイカーズなどで着用している姿がアーカイブフォトに残っています。

Elvin Hayes(エルヴィン・ヘイズ)

Elvin Hayes San Diego Rockets (1970)

Elvin Hayes San Diego Rockets (1970)
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ヒューストン大学初のアフリカ系プレイヤーとしてキャリアをスタート。1968年1月20日のUCLA戦では、「ビッグ・ルー」ことルー・アルシンダーを破った「ビッグE」として歴史にその名を残しています。

プロ入りは1968年。NBAドラフト1巡目全体1位で、サンディエゴ・ロケッツ(現ヒューストン)に入団。

ワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)移籍後にはウェス・アンセルドとともにチームの黄金期を支え、ファイナルには3度(1975年、1978年、1979年)進出。さらにチーム唯一となるファイナル優勝(1978年)にベテラン選手として大きく貢献しています。

ロケッツ入団後の1968年からブレッツ移籍後の1977年頃まで「アディダス・プロモデル」を愛用しています。

George McGinnis(ジョージ・マクギニス)

George McGinnis Philadelphia 76ers (1978)

George McGinnis Philadelphia 76ers (1978)
via Getty Images

インディアナ・ペイサーズ初期のスター、通称ビッグマック。

ロングシュート、ワンハンドシュートの高い決定力によってABA時代のペイサーズを2連覇に導きました。

現役時代の着用シューズは「コンバース・オールスター」「プーマ・クライド」「ウィルソン・バタ」「ナイキ・ブレーザー」など特にブランドにこだわりのない印象ですが、アディダスは「スーパースター」の「シェル無し」と「ハーフシェル」を愛用。

1970年代初頭には「スーパースターを愛用するスタープレーヤー」として、アディダスのプロモーション広告に何度も登場しています。

Billy Cunningham(ビリー・カニンガム)

Billy Cunningham Philadelphia 76ers (1970)

Billy Cunningham Philadelphia 76ers (1970)
via Getty Images

NBA35周年には「史上最も偉大なチーム」に選出された1966-1967シーズンのセブンティシクサーズ。

ビリー・カニンガムは、シクサーズの黄金期をスモールフォワードとして活躍し、伝説のセンター、ウィルト・チェンバレンとともにチームの優勝に大きく貢献。個人としてもNBA50周年には「50人の偉大な選手」に選ばれています。

1970年頃よりアディダスを愛用。レッドストライプのシェル無しや、ブルー/レッドストライプのハーフシェルなど、スーパースターを着用した姿がアーカイブフォトには残されています。

Dick Barnett(ディック・バーネット)

Dick Barnett New York Knicks (c.1970)

Dick Barnett New York Knicks (c.1970)
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両足を揃えて蹴り出すジャンプシュートが特徴的。1959年にプロ入りしたディック・バーネットは、ニューヨーク・ニックス時代から頭角を表し、名シューティングガードとして活躍。

スター選手ウィリス・リードやウォルト・フレイジャーらを「ベテラン選手」として支え、1970年と1973年にはNBAファイナル優勝に貢献。ニックスの黄金期を築きました。

1969年頃からアディダス・スーパースターを着用し、引退の1974年までシェルの無いプレーヤーズモデルを愛用しています。

Dave DeBusschere(デイブ・ディバッシャー)

Dave DeBusschere New York Knicks (1971)

Dave DeBusschere New York Knicks (1971)
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元シカゴ・ホワイトソックスの投手。同時期にNBAプロ入りしたピストンズでは、24歳の若さで史上最年少「コーチ兼任選手」を努めるなど異例の経歴を経て、1968年にニューヨーク・ニックスに移籍。

強靭なフィジカルと粘り強いディフェンスで、多くのスター選手を苦しめた名ディフェンダー。1969年から引退の1974年まで6年連続でオールディフェンシブ・ファーストチームに選出。1970年と1973年のニックスの優勝に大きく貢献しました。

1969年頃からアディダス・スーパースターを愛用。引退のシーズンまでシェルの無いプレーヤーズモデルを愛用しています。

Oscar Robertson(オスカー・ロバートソン)

Oscar Robertson Milwaukee Bucks (1974)

Oscar Robertson Milwaukee Bucks (1974)
via Getty Images

元祖ミスター・トリプル・ダブル。1960年代から1970年初頭のNBAを代表する名ポイントガードです。

大学時代はオールシーズン得点王、最優秀選手を2回受賞。1960年のローマオリンピックにはアメリカ代表として出場し、無敗で金メダルを獲得しています。

NBAキャリアはシンシナティ・ロイヤルズから。1960年にはルーキー・オブ・ザ・イヤー賞を受賞し、翌年から9年連続でオールNBAファーストチームに選出されています。

ミルウォーキー・バックス移籍後もキープレイヤーとして活躍。若きエース、アブドゥル・ジャバー(ルー・アルシンダー)を「相方」として支え、1971年にはチーム初(自身としても唯一)となるNBAファイナル優勝を果たしています。

ロイヤルズ時代まで「コンバース」のローカットを着用していたオスカー・ロバートソン。バックス移籍後の1970年頃から引退の1974年まで、シェル無しの「スーパースター」を愛用しています。

Julius Erving(ジュリアス・アービング)

Julius Erving New York Nets (1974)

Julius Erving New York Nets (1974)
via Getty Images

ABA時代、弱小チームだったニューヨーク・ネッツを2度優勝へ導いた名選手「ドクター」ジュリアス・アービング。

その並外れた跳躍力から生み出される、印象的でユニークなダンクシュートを「モーツアルトが最高峰のクラシックミュージックを作曲したように、偉大なるABAスター、ジュリアス・アービングは最高峰のダンクシュートを披露する」とポピュラーメカニクス誌は評しています。

レーンアップ(フリースローレーンからのジャンプでダンク)で伝説となった、1976年のスラムダンクコンテストで着用していたのがコンバース。特にハイカットの「プロレザー」はアービングのトレードマークとも言えるモデルですが、ネッツに移籍した1973年から76年にかけて、アディダスの「プロモデル」を何度も着用しています。

Rick Barry(リック・バリー)

Rick Barry Golden State Warriors (1974)

Rick Barry Golden State Warriors (c.1974)
via Getty Images

現役時代、40得点以上の試合が115回、50得点以上の試合が14回。リック・バリーは、NCAA、ABA、NBAすべてのリーグにおいて得点王に輝いた唯一の選手です。

長身と俊敏性を兼ね備えた1970年代を代表するスモール・フォワード。特徴的なアンダースローによるフリースローは成功率90%で、NBA歴代4位(2020年現在)の記録に輝いています。

マイアミ大学時代から着用していた「コンバース」やネッツ時代からの「プーマ」に加え、ゴールデンステート・ウォリアーズ移籍後の1973年頃から「アディダス・プロモデル」を愛用。

アディダスは現役引退の1980年まで愛用し続け、引退の前年には「スーパースター」の次世代モデル「トップテン」の開発に参加。ロケッツ・レッドのプレイヤーズモデルを試合で自ら着用しています。

 
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