僕が「クライド」と呼ばれるようになったのは、
映画「ボニー&クライド」に由来する。
元NBA・ニューヨーク・ニックスの名ポイントガード、
ウォルト・フレイジャー氏のインタビューより。
彼のニックネーム、
「クライド」と呼ばれたきっかけについて
こう答えています。
ツバの広いブリムハットをかぶっていたんだ。
最初はみんな笑っていたよ。
チームメイトもみんな笑っていた。ツバの狭いのが一般的だったからね。
僕はツバが広いのが良かったんだ。
運悪く、2週間後に映画が公開された。
「ボニー&クライド」さ。
ロッカールームを歩いていると
みんな僕にこう言うんだ。
「ヘイ、見ろよ。『クライド』じゃないか。」
一方、写真家のジョージ・カリンスキー氏のインタビューによると
彼が撮った写真が「クライド」のきっかけだった、と語っています。
1969-1970シーズンのNBA
優勝を間近に控えたニューヨーク・ニックス。
ニューズウィーク誌用に
ダニー氏は大量の選手のオフショットを撮影。
ウォルト・フレイジャー氏の写真を見た
ニックスのトレーナー、ダニー・ウィーラン氏が
映画の主人公を連想し
「クライド!」と叫んだ。ということです。
いずれにせよロッカールームで生まれた「クライド」というキャラクターはニックスのアイコンとなり、地元ニューヨークのエボニーな人々の間で圧倒的な支持を得ることに。
禁酒法時代のギャングのような「早すぎた」ファッションは、1970年代以降のブラックカルチャーのスタンダード・クラシックになっていきます。
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クライド・ルックブック 70s Collection
オールブラックのダブルのスーツにホワイトのネクタイ。
かばんの中には一体なにが!?
愛車ロールス・ロイスから登場したクライドは、
とてもこれからバスケットコートに向かうとは思えない
「ノワール」なファッション。
ウォルト”クライド”フレイジャー:
ニックスのレジェンドであり、元祖NBAのファッションアイコン。
NBAプレイヤーとしてはじめてファッション誌の紙面を飾り、ロールス・ロイスを運転するはじめてのNBA選手だった。
ダブル・ブレストのトレンチ・コートの中にはホワイトのタートルネック・ニット。
千鳥格子のスラックス。ウェスタンなハットをトップスに合わせています。
1970年クライド氏は自身がプロバスケットボールやニックスについて語った伝記小説「クライド」の出版を記念して10月7日サイン会を開催。
1930年代風の真っ白なシルクサテンのスーツにシルクのシャツ、シルクのスカーフ。ダニー・ハサウェイのような(おそらくリネンの)ビッグ・アップル・キャップを合わせ、ギャングの避暑地ファッションをニューソウル風味に仕上げています。
また書店には「ボニー&クライド」が当時、銀行強盗の際に使用したものと同型の車種「1932年型フォード V-8 B-400」で会場に登場。イベントを湧かせました。
こちらも夏の装い。ボーダーのスーツに、パナマハット。アクセントはジバンシーのシルク・スカーフ。イタリアンなコンビのプラットフォーム・シューズは、スリップ・オンのようです。
新しいパンツをフィッティングするクライド。こういった写真は当時のアフリカ系アメリカ人の「成功」を意味したのでしょう。
ダブル仕様のミンクのコートに白のスラックス。コンビのウイングチップを合わせ、モノトーンで統一感を。(モノクロ写真なので、おそらく)シャツのプリントを差し色にしています。
写真は1974年9月10日ニューヨーク・マンハッタンにあるプラザホテルの屋外にて。
ニューヨーク・ニックスのバスケットボール選手ウォルト・フレージャー氏は、黒のミンクのコートを着用。モデルを務めました。年に一度開かれる大規模な毛皮の展示会「ベン・カー・ファー・コレクション」に展示されたうちの一着でした。
ベッドルームで雑誌を読み、くつろぐクライド氏。スポーツ誌の取材なのでとりあえずパンツは履いてみました的な一枚。丸いベッドに、天井の丸い鏡。これは!!
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