プーマ・サクラメント(Puma Sacramento)image from puma
「プーマ・サクラメント」は1960年代に登場した陸上競技用のスパイクシューズ。
1968年にメキシコで開催されたメキシコシティ・オリンピックに向けて開発されたモデルです。
スパイクピンが68本!
大きな特徴はソール前方に配された大量のスパイクピン。4ミリの小さなピンが次期オリンピックの開催年にあわせ「68」本並んでいます。
アッパーには真っ赤なカンガルースエードを採用。フィッティングはシューレースではなく4本のベルクロ方式という仕様です。
この斬新なデザインはオリンピック委員会からNGが出ることになります。
プーマによると委員会側からスパイク部分が「危険すぎる」と判断されたようで、着用して新記録を出した選手のレコードも無かったことになってしまったようです。
プーマ・ジャパン「ヒストリー」より。
メキシコ大会まで数週間と迫る時期に、このスパイクを着用した多くのアメリカ人アスリートが、次々に世界記録を樹立しました。しかし、大会委員会の決定により、このスパイクは“あまりに危険すぎる”と見なされ、使用禁止となってしまいました。
このスパイクを着用して打ちたてられた全ての世界記録は、残念ながら取り消されてしまいました。この一件については、未だ再調査が行われていません。
しかしながら、プーマアスリートであるトミー・スミスは、サクラメントの類似モデルを着用し、200メートルで金メダルを獲得しました。
6本スパイクで金メダル優勝
トミー・スミスは1944年カリフォルニア州リムーア生まれの短距離陸上選手(オリンピック当時24歳)。
プーマの「68本スパイク」のシューズは大会委員会が仕様禁止としたため、大会でトミースミスはスパイクピンが6本タイプのサクラメントを着用。
男子200mにおいて、19秒83の世界新記録で金メダルを獲得しています。
Tommie Smith at Finish Line – 1968 Olympics, 200 Meters Finalimage from neilleifer.com
真っ赤なプーマ・スエード・シューズを着用し世界新記録で優勝を飾るトミー・スミス氏。
Tommie Smith’s 1968 Olympic Gold Medal and 200M Worn Pumas image from Moments in Time Memorabilia
オートグラフ(サイン)を中心としたコレクター系のディーラー「モーメンツ・イン・タイム・メモラビリア」のサイトに掲載されたプーマのトラックシューズ。トミースミス氏が1968年のメキシコオリンピックで新記録を樹立した際に着用していたプーマ。
Puma Sacramento image from Puma
プーマのヒストリーページに掲載されたトミースミス氏が着用したものと同型モデル。スパイクは2種類、4ミリの68本タイプと6本タイプ。サイドパネルには「Sacramento」とモデル名がプリントされています。
Puma Sacramento image from Puma
ブラックパワーサリュート
Peter Norman, John Carlos, Tommie Smith 1968 image from www.gettyimages.co.uk
1968年メキシコオリンピック男子200m表彰式より。
左より、2位オーストラリア代表のピーター・ノーマン。3位アメリカ代表のジョン・カーロス、1位の表彰台に上がるトミー・スミス。
200mで圧勝を飾ったトミー・スミス氏、そしてこのレースで3位となったジョン・カーロス氏もアメリカ代表。共にプーマのシューズを着用して入賞し、表彰台に立つことになります。
トミースミス氏は表彰式に靴下のままの状態で入場、表彰台に上がると持っていたプーマのスエードシューズを高々と上げています。後方に立つ3位のジョン・カーロス氏もまた靴下姿のまま入場。後ろにプーマのシューズをもっています。
幻の記録保持者 ジョン・カーロス
(英語版WikiのJohn Carlosのページによると、オリンピックで3位に輝いたジョン・カーロス氏は、オリンピック選考会では19秒92を出し、世界記録保持者のトミー・スミスの記録を更新。しかし彼の「ブラッシュ・スパイク」が使用不可のものだったため、記録は公式とならなかった。と書かれています。
「プーマ・サクラメントを着用したために取り消された世界記録」のうちのひとつがジョン・カーロス氏のタイムだったようです。)
黒い靴下、黒の手袋という姿で表彰式に登場したトミースミス氏とジョン・カーロス氏は、ここで歴史的なパフォーマンスを行ないます。
1968 Olympics John Carlos & Tommie Smith image from BBC
真黒なプーマのトラックシューズで表彰式に登場したジョン・カーロス(左)とトミー・スミス。2人が手にしたシューズはこの年(1968年)開発されたばかりの「プーマ・バスケット」のスエードバージョン。
レース終了後、3人はデヴィッド・バーリー(元400m金メダリスト)からのメダル授与のために表彰台に向かった。
2人のアメリカ人選手は黒人の困窮を表現すために、シューズを履かず黒いソックスのままメダルを受け取った。
スミスは「ブラック・プライド」を象徴するシンボルとして首に黒のスカーフを巻き、カーロスはアメリカのすべてのブルーカラー労働者との連帯を示すためトラックスーツのジッパーを全開に。
また、リンチで殺された、または殺されてぶら下げられタールを塗られた人々を祈念するために、長いビーズのネックレスを身に着けていた。
(2位のオーストラリア代表)ピーター・ノーマンも2人の理想に共感し、3人で「人権のためのオリンピックプロジェクト(OPHR)」のバッジを着用。
ノーマンは(白人でありながら)「オーストラリアにおける白人最優先主義」に対して批判の意味もこめた。
1968 Olympics 200m medalist. Tommie Smith,Peter Norman & John Carlos image from BBC
カーロス氏は黒の手袋をオリンピック村に忘れてしまった。
「スミス氏の左手の手袋をつけてみては」と提案したのは、オーストラリアのピーター・ノーマン選手だった。カーロス氏が敬礼の時、右ではなく左手を振りかざしたのはそのためだった。
アメリカ国歌「星条旗」が流れると、スミス氏とカーロス氏は頭を下げた。
そして、黒い拳を高く掲げ、黒人差別に抗議する敬礼「ブラックパワー・サリュート」をおこなった。
群衆からはブーイングが起こり、世界中の第一面の記事になった。
1968 Olympics Black Power salute image from ebony magazine 1968
壇上左より、オーストラリア代表のピーター・ノーマン、アメリカ代表のトミー・スミス、ジョン・カーロス。
トミー・スミスとジョン・カーロスの両氏は拳を突き上げることでアフリカ系アメリカ人の人権を主張。白人のピーター・ノーマン氏は彼らが付ける人権団体「OPHR」のバッジを付けることで彼らのパフォーマンスに賛同・参加しました。
国際オリンピック委員会(IOC)会長のアベリー・ブランデージ氏は、スミス氏とカーロス氏をアメリカ・ナショナルチームから除名、オリンピック村からの追放命令を下しています。
プーマはどんな圧力にも屈しない
Puma 1968 image from puma
1968年のメキシコオリンピックを記念して雑誌に掲載されたプーマの広告。
6本スパイクの「プーマ・サクラメント」をフィーチャーすることで、大会で着用したトミー・スミス氏の輝かしい世界記録をアピールしています。
またブラッシュ・スパイク(スパイクピンが68本のタイプ)の大会での使用禁止を「最大の嫌がらせ」(größter Schikanen)と表現。
「プーマの品質はどんな圧力にも屈しない」というメッセージは、トミー・スミス氏の政治的なパフォーマンスを連想させます。
6スパイクの稲妻、最速のトレーナー。
200メートル19.8秒 世界記録。
そして最大の嫌がらせにもかかわらず。
プーマは止められない。その理由はプーマの品質のすべてです。
「サクラメント」復刻モデル
Puma sacramento Le “red olympic pack” image from www.flightclub.com
Puma sacramento Le “blue olympic pack” image from www.flightclub.com
2004年ギリシャで行なわれたアテネオリンピックを記念して復刻された「プーマ・サクラメント」。
スパイクをラバーソールに、トラックシューズをスニーカーにアレンジしています。レッドスエードの他にブルーのスエードタイプがアップデートカラーとして限定リリースされました。