バルカナイズの歴史 もくじ
- 「ゴム」という素材の発見
- ニュートンと消しゴムとマッキントッシュ
- グッドイヤーの発見
- トーマス・ハンコックとバルカナイズ製法
回転楕円体
扁球(左)と長球(Oblate and Prolate Spheroid) image from etc.usf.edu
扁球か長球か
「地球の形」は完全な球体ではなく、遠心力によって赤道付近が膨らんだ回転楕円体になっている。(極端にいうと、上の図の左側の楕円)
と仮定したのは「万有引力の法則」で有名なイギリスの数学者アイザック・ニュートンですが、17世紀から18世紀の間ヨーロッパの科学の世界では、そのニュートンの説が正しいのか、もしくはニュートンが間違っているのか※という疑問が大論争に発展していました。
※ フランスの哲学者ルネ・デカルトは天体の周りにはある物質(「エーテル」と仮定)が渦を巻いていて、地球はその渦の動きによって回っていると仮定し、さらに地球はエーテルの渦に押されて南北に長い楕円になっているとした。(極端にいうと、上の図の右側の楕円)「物質の落下」についても、私たちの周りは目に見えないエーテルに満たされていて、渦に巻き込まれるように物が下のほうに移動すると考えた。
(当の本人、ニュートンは1727年に、デカルトは1650年に亡くなっていましたが)この疑問に決着をつけるために、1735年、当時地球測量で最先端の技術をもっていたフランス科学アカデミーは、北欧のラップランドと南米のキト(現在エクアドル共和国の首都)に測量の探検隊を派遣しました。
北極と赤道での天文緯度と、地球の弧の長さを測定し結合することで地球の半径をわりだすというもので、ラップランド隊のピエール・ルイ・モーペルテュイは帰国後1738年に、南米隊のピエール・ブーゲとシャルル・マリー・ド・ラ・コンダミーヌは1749年は地球の形状に関する論文を発表。この測量結果は、赤道付近が北極付近より曲率(曲線の曲がりぐあい)が大きいことをあらわし、ニュートンの主張(地球が扁球状であること)が正しいと証明されました。
南米旅行記
測量調査が終わった遠征隊メンバーがフランスへの帰路についたのが数年後のことですが、南米隊のメンバーで地理学者・数学者シャルル・マリー・ド・ラ・コンダミーヌがフランスへ帰ったのが10年後の1745年。航海はお金やメンバー内でのトラブルで困難を極め、加えて、戦争(オーストリア継承戦争)が勃発したことによってフランスへの帰航はさらに遅れました。また資金不足は危険な最短ルートであるアマゾン川経由の航海を余儀なくされました。
しかし、アマゾンでの単独探検は科学的に貴重な発見をもたらしました。コンダミーヌは、膨大な観察記録や200にも及ぶ博物標本を発表しています。コンダミーヌの発見を幾つかあげますと…
- アマゾンの人々が吹き矢や矢の先に塗り、狩猟、戦闘に使用した黒褐色の液体で、ヨーロッパ人には「魔術」と描写され恐れられていた「クラーレ」という毒性の樹液。
- 現在世界最大の天然運河といわれるカシキアレ川(カシキアレ運河)。
- アカネ科の薬用樹木「キナ」の樹皮に含まれる物質で、マラリアの特効薬として、また、トニックウォーターの苦味剤として知られる「キニーネ」。
- アマゾンの人々が「caoutchouc(カウチュ 木の涙という意味)」と呼び、照明の燃料や防水に使用している乳白色の樹液。
これらのアマゾンでの発見は1745年、フランス科学アカデミーの会報に(地球測量の結果と同時に)発表され。1751年には「南米旅行記」として出版されました。
なかでも、カウチュと呼ばれる乳白色の樹液とは、パラゴムノキから採取される天然ゴムの原料ラテックスのことで、ゴムに関する最初の科学論文として以後のゴム産業発展の火付け役となったといわれています。
フレスノーが描いたパラゴムの木 image from bouncing-balls.com
コンダミーヌが1751年に発表したゴムに関する科学論文のために、共同研究者であったフランソワ・フレスノーが描いたパラゴムの木のスケッチ。パラゴムの木の葉や種、「カウチュ」の採取方法やゴムとしての利用方法的な物などが描かれています。
南米の人々の言葉で「cao」は「木」、「tchu」は「涙」を表す「caoutchouc(カウチュ)」と言う言葉は、現在でもフランス語で「天然ゴム」という意味で使用しています。
コンダミーヌの科学論文によると、当時アマゾンの人々はカウチュを「照明の燃料」として利用していたようで、火をつけると灯芯なしで非常に明るく燃える事にコンダミーヌは驚きました。またその樹液は粘着性で乾燥すると固まるという性質をもっており、さらに防水効果が得られるため、現地の人々は、布や靴などにコーティングしたり、土の型に流し込み乾燥凝固させて靴などを作り利用していたようです。
rubber = こすって消すもの
「炭酸水」を発明したことで知られるイギリスの自然哲学者ジョゼフ・プリーストリーは、1770年に発表した彼の著書※の中でこう語っています。
「鉛筆で(紙に)書いた文字を消すために最適な物を私は知っている※」
「消しゴム」という物がまだ存在しない時代の話です(鉛筆は17世紀に登場し市販されていた)。当時は(耳の部分を除いた)パンを使用して文字を消していたようです。
プリーストリーは当時科学の分野で話題になっていた「天然ゴム」が、文字を消すのに非常に適した素材であることを発見。こすって消す(rub out)ことから、彼はこの素材を「rubber(ラバー)」と呼んでいます。
同じ頃イギリスのエンジニア、エドワード・ネアンも同様に、天然ゴムで鉛筆の文字が消えることを発見。1770年にはハーフインチ(1.27cm)のキューブ状「消しゴム」をはじめて製品化します。これがヨーロッパで誕生した最も古い「ゴム製品」といわれています。
しかし、天然由来の消しゴムは食品のように腐りやすく、更に高価であったため(当時の通貨単位で1個3シリング)ポピュラーな物になるのはさらに先のことになります。
※ A familiar introduction to the theory and practice of perspective : Joseph Priestley 1770
※ I have seen a substance excellently adapted to the purpose of wiping from paper the mark of black lead pencil.
マッキントッシュコートの誕生
遠い南の地で採取される天然ゴムは、現地以外の場所で扱うには困難な物質で、さらに石など不純物が混ざっている状態で固まったものが輸入されていたため、一度固まった天然ゴムをどう溶かして利用するかが問題でした。
スコットランド・グラスゴー出身の化学者チャールズ・マッキントッシュは、工場で石炭をガスに精製する過程で生まれる廃棄物に含まれる「ソルベントナフサ」という物質が、天然ゴムの液化に適した溶剤であることを発見。溶かしたゴムを布にコーティングする技術を開発し、1823年に特許を取得します。
マッキントッシュはこの新技術を利用した生地とレインコート製作の会社をスタート。防水生地「マッキントッシュクロス」と、ゴム引きコート「マッキントッシュコート」の誕生です。
雨の多いイギリスで(特に富裕層の間で)乗馬用のコートとして注目を集めはじめますが、初期のマッキントッシュコートには欠点がありました。暑くなるとゴムが溶け出して、生地同士がくっつき、逆に寒くなると生地がかたくなってしまう。ゴム特有の匂いもかなり強く、ファッションアイテムとして愛用されるには改良が必要でした。
しかし、それらの欠点以上に防水効果は画期的で、イギリス陸軍や警察、国有鉄道の外套、デッキコート(船の甲板作業用)などのワークウエアとして利用されるようになり、イギリスの人々の間で「ゴム引きの防水コート イコール マッキントッシュコート」という地位を築いていきます。
マッキントッシュ・ショップの当時の広告(Chas. MACINTOSH & CO. AD) image from bouncing-balls.com
ロンドン・チャリング・クロスにオープンした、マッキントッシュのショップ広告(1840年)。主力商品である南米産のラバーを使用したウォータープルーフ・クロスをフィーチャーしています。また偽造品に関する注意書として「マッキントッシュ正規品は直筆のサインとスタンプ無しで発送することはありません」と強調しています。
参考資料:
Wikipedia Charles Marie de La Condamine /子午線弧/eraser/Mackintosh
bouncing-balls.com Charles Marie De La Condamine/chas macintosh
www.mackintosh.com
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