アディダス スタンスミス 誕生の秘密から華やかなセカンドライフまで

The unlikely second life of the signature Stan Smith sneaker

via espn


スポーツメディアEspinに掲載された
「シグネチャースニーカー、スタンスミスの思いもよらないセカンドライフ」という記事から。

The unlikely second life of the signature Stan Smith sneaker/ Espin

「アディダスは当初、契約に消極的だった」という意外な話から
「ジョーダンほどは稼いでいない」というロイヤリティの話題まで

アディダスで最も売れたスニーカー誕生の意外と知られていない経緯や、アスリートシューズがなぜ「ファッションアイコン」へとなっていったのか。スタン・スミス氏のインタビューをまじえ解説しています。

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「ハイレット」としてスタート

The unlikely second life of the signature Stan Smith sneaker/ Espin

1965年、アディダスは真っ白な無地のアッパーにグリーンの差し色を加えたテニスシューズを製作。

当時世界で最も優れたテニスプレーヤーのひとりであった、フランス出身、ロバート・ハイレット選手のシグネチャーモデルです。

関連記事:ロバート・ハイレット(Robert Haillet)

adidas Haillet (1971)

アディダス・ハイレット
via adidas Catalog (1971)


従来のアディダスシューズとの大きな違いは、象徴的なブランドロゴ「3ストライプ」の代わりに、その線上に空気穴があけられたこと。サイドパネルにはハイレット氏のサインがプリントされました。

アディダス・ハイレットは革製テニスシューズとして最高の性能を発揮。
当時とても人気のモデルでした。

しかし1971年にハイレット氏がプロテニス界を引退。
アディダスにとって大きな問題となりました。

デル氏がUSチームのエース「スミス氏」を推薦

そこで、アディダスの創設者アディ・ダスラー氏の息子、ホルスト氏は、デビスカップのアメリカ代表チームキャプテン、ドナルド・デル氏と接触をはかります。

U.S. Davis Cup team tour (1968)

デビスカップのイベントに向かうアメリカ代表チーム(1968年)
キャプテンのドナルド・デル(右)とアーサー・アッシュ
U.S. Davis Cup team tour (1968)
via John G. Zimmerman


U.S. Davis Cup team tour (1968)

スタン・スミス(左)とアーサー・アッシュ。中央の後ろ姿がドナルド・デル
U.S. Davis Cup team tour (1968)
via John G. Zimmerman


U.S. Davis Cup team tour (1968)

右端がドナルド・デル
U.S. Davis Cup team tour (1968)
via John G. Zimmerman


デル氏は前年よりスポーツ選手のエージェントを開始。
テニス界の2人の顧客、アーサー・アッシュ選手とスタン・スミス選手が同行しました。

U.S. Davis Cup team tour (1968)

右から)アーサー・アッシュ、スタン・スミス、ボブ・ラッツ
U.S. Davis Cup team tour (1968)
via John G. Zimmerman


デル氏は「ハイレット」の穴を埋めるのはスミス氏が適任であると提案。

ATP(男子プロテニス協会)と公式ランキングのシステムはまだ確率していませんでしたが、スミス氏は世界で最高の選手と考えられていました。

Stan Smith at World Tennis Magazine (Sept 1972)

ウィンブルドンで初優勝を飾り、テニス雑誌の表紙を飾るスタン・スミス氏
via World Tennis Magazine (Sept 1972)


ホルスト・ダスラー氏はデル氏のアドバイスを受け、スミス氏と5年間の小規模契約を結びました。

アディダス社のその判断は幹部の承認によるものでしたが、スミス氏の将来性に関しては懐疑的でした。

しかし、スミス氏は広告塔を務めました。
彼は「ハイレット」のネームが付いたままのシューズを着用しました。

adidas Haillet Smith (1974-1977)

スミス氏の似顔絵とサイン、「HAILLET」のモデル名が共存するロゴ
adidas Haillet Smith (1974 – 1977)
via stoy


「靴のおかげでハイレット氏とは友達になったんです」スミス氏は語ります。

「2011年にロバート(・ハイレット)が亡くなったときに、彼の息子から電話があったんです」

アディダス社がハイレット氏の名前を靴から削除したときには、とても残念がっていた息子さんです。

アディダス・スタンスミス誕生

adidas Stan Smith (c.1978)

adidas Stan Smith (c.1978)
via highsnobiety


ロゴのデザイン変更は1978年。
アディダスはスミス氏の似顔絵に初めて「スタンスミス」の文字をプリント。

不思議なことに、さらに変更された似顔絵は
「口髭の無いスミス」バージョンでした。

adidas Stan Smith (c.1979-early80s)

adidas Stan Smith (c.1979-early80s)
via Tailored Consignment


「髭は成人になってからずっと生やしているんですよ。23歳と24歳のときを除いては。」スミス氏は語ります。

関連記事:アディダス・スタンスミス(adidas Stan Smith)

また、スミス氏のサインの特徴は「Stan」と「Smith」に共通する「S」をフィーチャーしたもの。
以前デルタ航空を利用した際に、スミス氏にサインを頼んだ客室乗務員キャシー・アンドリュースさんが関わっています。

スミス氏によると「彼女には私がサインにうんざりしているように見えたんです。なので『S』をひとつにまとめることにしました」

STAN (STANLEY ROGER) SMITH - AUTOGRAPH

青インクでインデックスカードに書かれた、スタン・スミス氏のサイン
via History For Sale


グリーンのヒールパネルも新しいものに

adidas Stan Smith (Made in France, c.1979-early80s)

via Tailored Consignment


スミス氏のフルネームと三つ葉マークを追加しました。

アディダス史上最高のベストセラースニーカー「スタンスミス」の誕生です。

adidas Stan Smith (Made in France, 1980s)

adidas Stan Smith (Made in France, 1980s)
via adidas


Adidas Stan Smith Shoebox (c 1980s)

Adidas Stan Smith Shoebox (c 1980s)
via Showstudio/adidas


ヒップホップと「ファッション・アイコン」としての再評価

高性能テニスシューズとして生まれた「スタンスミス」。
1980年代に入るとその役割を終えようとしていました。

しかしその一方、
ファッションシューズとして人気が出はじめていました。

スミス氏本人も、ある時期を境に違和感を持たなくなっていきます。

「1990年代初頭、全米オープンに出席した時のこと。
わたしに気づいた若い子達がこう言ったのです

『スミスさんの靴、Hood(界隈)で超人気だよ』と」

参照:MCA流スタンスミス コーディネート

The Beastie Boys (1985)

The Beastie Boys (1985)
via Janette Beckman/Getty Images


Adam Yauch of the Beastie Boys on a Suzuki moped (1988)

Adam Yauch of the Beastie Boys on a Suzuki moped (1988)
via Ebet Roberts


Adam Yauch of The Beastie Boys (1988)

Adam Yauch of The Beastie Boys (1988)
via Ron Galella/Getty Images


Run DMC and Beastie Boys, NYC (c 1988)

Run DMC and The Beastie Boys, NYC (c 1988)
via Glen E Friedman


さらに2001年のこと。

スミス氏の娘、当時14歳だったオースティンちゃんは、お父さんは「有名人」であると言うのです。

Stan Smith’s family 2018

「スタン・スミス一家」
左から)スミス氏、マージョリー夫人、娘のオースチンさんと夫のブレン・ホール氏
スミス氏の著書「Stan Smith: Some People Think I Am A Shoe」の発売を記念して(2018年9月5日)。
via Andrew Toth/Getty Images


「娘は私に『Jayseeの曲にはお父さんが登場するんだよ』と言うんです」

「『Jayseeって誰だい?』と私が聞くと、娘は『違うよパパ、Jay-Z !』」

Jay-Z / The Blueprint (Cassette 2001)

Jay-Z / The Blueprint (Cassette 2001)
via lintonsamuel12/ebay


オースティンちゃんが言ったことは冗談ではありません。

ヒップホップアーティスト「Jay-Z」は、2001年のアルバム「ザ・ブルー・プリント」収録の「ジガ・ザット・ニガ」で、こう歌っています。

「週末はハンプトンズでまったり
アディダス・スタンスミス そして キャンパス」

Lampin’ in the Hamptons
the weekends man
The Stan Smith Adidas and the Campus

Jay-Z / The Blueprint (Cassette 2001)

via lintonsamuel12/ebay


Jay-Z / The Blueprint (Cassette 2001)

via lintonsamuel12/ebay


さらに、エイサップ・ロッキーやジョー・バドゥン、リック・ロス、リル・ウェインの曲にも「スタンスミス」は登場しています。

参照:リリックに「スタンスミス」が登場する曲

Lord Pretty Flacko Jodye 2 (LPFJ2)
/ A$AP Rocky(エイサップ・ロッキー)

She Don’t Put It Down
Joe Budden(ジョー・バドゥン)

This Is The Life
/ Rick Ross(リック・ロス)

It’s Time to Give Me Mine
/ Lil Wayne(リル・ウェイン)

スタンスミスは「ファッション・アイコン」という第2の人生を見つけました。

エージェントのデル氏はアディダス社の幹部クラスに対し、スタンスミスがいかにロイヤリティに値する靴であるかをアピール。

説得に成功すると、スミス氏は2005年までに定額報酬を受け取ることになりました。

もちろん、デル氏もスミス氏もスタンスミスの売上げによって、どれほど儲かったかは明らかにしないでしょう。

しかし、このモデルが今どれだけ熱いかを考えると「粗末な金額」ということはありえません。

「マイケル・ジョーダン氏ほどは稼いでいませんよ」

スミス氏は笑いながらヒントをくれました。
ジョーダン氏は毎年ナイキのロイヤリティで1億ドル以上稼ぐといわれています。


2014年1月14日、その日はスミス氏もよく覚えています。
盛大なファンファーレとともにアディダス・スタンスミスが市場にカムバックした日です。

(2012年から2013年にかけスニーカー市場が飽和状態なため、アディダス社は商品構成の一層を決定。
スタンスミスの生産を中止していました。)

アディダスは、ファレル・ウィリアムスやエレン・デジェネレスなどインフルエンサーに靴をプレゼント。ポートレートをスターの顔に置き換えました。

人気トーク番組「エレンの部屋」のホスト、エレン・デジェネレスさんには、ポートレートをアレンジした特別バージョンをプレゼント。

同年、ファレル・ウィリアムス氏とのコラボがスタートしています。

adidas Originals x Pharrell Williams Stan Smith “Tennis Pack” (2014)

adidas Originals x Pharrell Williams Stan Smith “Tennis Pack” (2014)
via adidas


関連記事:アディダス 不朽の名作スニーカー 25選!

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