![The unlikely second life of the signature Stan Smith sneaker](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/espn-how-stan-smith-adidas-shoe-became-hottest-signature-sneaker-game-today.png)
via espn
スポーツメディアEspinに掲載された
「シグネチャースニーカー、スタンスミスの思いもよらないセカンドライフ」という記事から。
The unlikely second life of the signature Stan Smith sneaker/ Espin
「アディダスは当初、契約に消極的だった」という意外な話から
「ジョーダンほどは稼いでいない」というロイヤリティの話題まで
アディダスで最も売れたスニーカー誕生の意外と知られていない経緯や、アスリートシューズがなぜ「ファッションアイコン」へとなっていったのか。スタン・スミス氏のインタビューをまじえ解説しています。
アディダス・スタンスミス 新作・新色コレクション(amazon)
「ハイレット」としてスタート
The unlikely second life of the signature Stan Smith sneaker/ Espin
1965年、アディダスは真っ白な無地のアッパーにグリーンの差し色を加えたテニスシューズを製作。
当時世界で最も優れたテニスプレーヤーのひとりであった、フランス出身、ロバート・ハイレット選手のシグネチャーモデルです。
関連記事:ロバート・ハイレット(Robert Haillet)
![adidas Haillet (1971)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2011/09/adidas-us-catalog-1971-01.png)
アディダス・ハイレット
via adidas Catalog (1971)
従来のアディダスシューズとの大きな違いは、象徴的なブランドロゴ「3ストライプ」の代わりに、その線上に空気穴があけられたこと。サイドパネルにはハイレット氏のサインがプリントされました。
アディダス・ハイレットは革製テニスシューズとして最高の性能を発揮。
当時とても人気のモデルでした。しかし1971年にハイレット氏がプロテニス界を引退。
アディダスにとって大きな問題となりました。
デル氏がUSチームのエース「スミス氏」を推薦
そこで、アディダスの創設者アディ・ダスラー氏の息子、ホルスト氏は、デビスカップのアメリカ代表チームキャプテン、ドナルド・デル氏と接触をはかります。
![U.S. Davis Cup team tour (1968)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/us-davis-cup-team-1968-01.png)
デビスカップのイベントに向かうアメリカ代表チーム(1968年)
キャプテンのドナルド・デル(右)とアーサー・アッシュ
U.S. Davis Cup team tour (1968)
via John G. Zimmerman
![U.S. Davis Cup team tour (1968)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/us-davis-cup-team-1968-02.png)
スタン・スミス(左)とアーサー・アッシュ。中央の後ろ姿がドナルド・デル
U.S. Davis Cup team tour (1968)
via John G. Zimmerman
![U.S. Davis Cup team tour (1968)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/us-davis-cup-team-1968-04.png)
右端がドナルド・デル
U.S. Davis Cup team tour (1968)
via John G. Zimmerman
デル氏は前年よりスポーツ選手のエージェントを開始。
テニス界の2人の顧客、アーサー・アッシュ選手とスタン・スミス選手が同行しました。
![U.S. Davis Cup team tour (1968)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/us-davis-cup-team-1968-03.png)
右から)アーサー・アッシュ、スタン・スミス、ボブ・ラッツ
U.S. Davis Cup team tour (1968)
via John G. Zimmerman
デル氏は「ハイレット」の穴を埋めるのはスミス氏が適任であると提案。
ATP(男子プロテニス協会)と公式ランキングのシステムはまだ確率していませんでしたが、スミス氏は世界で最高の選手と考えられていました。
![Stan Smith at World Tennis Magazine (Sept 1972)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/world-tennis-magazine-september-1972.png)
ウィンブルドンで初優勝を飾り、テニス雑誌の表紙を飾るスタン・スミス氏
via World Tennis Magazine (Sept 1972)
ホルスト・ダスラー氏はデル氏のアドバイスを受け、スミス氏と5年間の小規模契約を結びました。
アディダス社のその判断は幹部の承認によるものでしたが、スミス氏の将来性に関しては懐疑的でした。
しかし、スミス氏は広告塔を務めました。
彼は「ハイレット」のネームが付いたままのシューズを着用しました。
![adidas Haillet Smith (1974-1977)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/adidas-haillet-smith-c-1974-1977-01.png)
スミス氏の似顔絵とサイン、「HAILLET」のモデル名が共存するロゴ
adidas Haillet Smith (1974 – 1977)
via stoy
「靴のおかげでハイレット氏とは友達になったんです」スミス氏は語ります。
「2011年にロバート(・ハイレット)が亡くなったときに、彼の息子から電話があったんです」
アディダス社がハイレット氏の名前を靴から削除したときには、とても残念がっていた息子さんです。
アディダス・スタンスミス誕生
![adidas Stan Smith (c.1978)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2011/09/adidas-stan-smith-tongue-made-in-france-01.png)
adidas Stan Smith (c.1978)
via highsnobiety
ロゴのデザイン変更は1978年。
アディダスはスミス氏の似顔絵に初めて「スタンスミス」の文字をプリント。
不思議なことに、さらに変更された似顔絵は
「口髭の無いスミス」バージョンでした。
![adidas Stan Smith (c.1979-early80s)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2011/09/adidas-stan-smith-tongue-made-in-france-02.png)
adidas Stan Smith (c.1979-early80s)
via Tailored Consignment
「髭は成人になってからずっと生やしているんですよ。23歳と24歳のときを除いては。」スミス氏は語ります。
関連記事:アディダス・スタンスミス(adidas Stan Smith)
また、スミス氏のサインの特徴は「Stan」と「Smith」に共通する「S」をフィーチャーしたもの。
以前デルタ航空を利用した際に、スミス氏にサインを頼んだ客室乗務員キャシー・アンドリュースさんが関わっています。スミス氏によると「彼女には私がサインにうんざりしているように見えたんです。なので『S』をひとつにまとめることにしました」
![STAN (STANLEY ROGER) SMITH - AUTOGRAPH](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/stan-smith-autograph-0.png)
青インクでインデックスカードに書かれた、スタン・スミス氏のサイン
via History For Sale
グリーンのヒールパネルも新しいものに
![adidas Stan Smith (Made in France, c.1979-early80s)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/adidas-stan-smith-made-in-france-1979-80s-03.png)
via Tailored Consignment
スミス氏のフルネームと三つ葉マークを追加しました。
アディダス史上最高のベストセラースニーカー「スタンスミス」の誕生です。
![adidas Stan Smith (Made in France, 1980s)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/adidas-stan-smith-80s.png)
adidas Stan Smith (Made in France, 1980s)
via adidas
![Adidas Stan Smith Shoebox (c 1980s)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/adidas-stan-smith-shoe-box-80s.png)
Adidas Stan Smith Shoebox (c 1980s)
via Showstudio/adidas
ヒップホップと「ファッション・アイコン」としての再評価
高性能テニスシューズとして生まれた「スタンスミス」。
1980年代に入るとその役割を終えようとしていました。
しかしその一方、
ファッションシューズとして人気が出はじめていました。スミス氏本人も、ある時期を境に違和感を持たなくなっていきます。
「1990年代初頭、全米オープンに出席した時のこと。
わたしに気づいた若い子達がこう言ったのです『スミスさんの靴、Hood(界隈)で超人気だよ』と」
参照:MCA流スタンスミス コーディネート
![The Beastie Boys (1985)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/the-beastie-boys-1985.png)
The Beastie Boys (1985)
via Janette Beckman/Getty Images
![Adam Yauch of the Beastie Boys on a Suzuki moped (1988)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/adam-yauch-nyc-1988.png)
Adam Yauch of the Beastie Boys on a Suzuki moped (1988)
via Ebet Roberts
![Adam Yauch of The Beastie Boys (1988)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/adam-yauch-december-18-1988.png)
Adam Yauch of The Beastie Boys (1988)
via Ron Galella/Getty Images
![Run DMC and Beastie Boys, NYC (c 1988)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/run-dmc-and-beastie-boys-nyc-c-1988.png)
Run DMC and The Beastie Boys, NYC (c 1988)
via Glen E Friedman
さらに2001年のこと。
スミス氏の娘、当時14歳だったオースティンちゃんは、お父さんは「有名人」であると言うのです。
![Stan Smith’s family 2018](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/stan-smith-margie-smith-austin-and-bren-hall-2018.png)
「スタン・スミス一家」
左から)スミス氏、マージョリー夫人、娘のオースチンさんと夫のブレン・ホール氏
スミス氏の著書「Stan Smith: Some People Think I Am A Shoe」の発売を記念して(2018年9月5日)。
via Andrew Toth/Getty Images
「娘は私に『Jayseeの曲にはお父さんが登場するんだよ』と言うんです」
「『Jayseeって誰だい?』と私が聞くと、娘は『違うよパパ、Jay-Z !』」
![Jay-Z / The Blueprint (Cassette 2001)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/jay-z-the-blueprint-cassette-2001-01.png)
Jay-Z / The Blueprint (Cassette 2001)
via lintonsamuel12/ebay
オースティンちゃんが言ったことは冗談ではありません。
ヒップホップアーティスト「Jay-Z」は、2001年のアルバム「ザ・ブルー・プリント」収録の「ジガ・ザット・ニガ」で、こう歌っています。
「週末はハンプトンズでまったり
アディダス・スタンスミス そして キャンパス」Lampin’ in the Hamptons
the weekends man
The Stan Smith Adidas and the Campus
![Jay-Z / The Blueprint (Cassette 2001)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/jay-z-the-blueprint-cassette-2001-02.png)
via lintonsamuel12/ebay
![Jay-Z / The Blueprint (Cassette 2001)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/jay-z-the-blueprint-cassette-2001-03.png)
via lintonsamuel12/ebay
さらに、エイサップ・ロッキーやジョー・バドゥン、リック・ロス、リル・ウェインの曲にも「スタンスミス」は登場しています。
参照:リリックに「スタンスミス」が登場する曲
Lord Pretty Flacko Jodye 2 (LPFJ2)
/ A$AP Rocky(エイサップ・ロッキー)
She Don’t Put It Down
Joe Budden(ジョー・バドゥン)
This Is The Life
/ Rick Ross(リック・ロス)
It’s Time to Give Me Mine
/ Lil Wayne(リル・ウェイン)
スタンスミスは「ファッション・アイコン」という第2の人生を見つけました。
エージェントのデル氏はアディダス社の幹部クラスに対し、スタンスミスがいかにロイヤリティに値する靴であるかをアピール。
説得に成功すると、スミス氏は2005年までに定額報酬を受け取ることになりました。
もちろん、デル氏もスミス氏もスタンスミスの売上げによって、どれほど儲かったかは明らかにしないでしょう。
しかし、このモデルが今どれだけ熱いかを考えると「粗末な金額」ということはありえません。
「マイケル・ジョーダン氏ほどは稼いでいませんよ」
スミス氏は笑いながらヒントをくれました。
ジョーダン氏は毎年ナイキのロイヤリティで1億ドル以上稼ぐといわれています。
2014年1月14日、その日はスミス氏もよく覚えています。
盛大なファンファーレとともにアディダス・スタンスミスが市場にカムバックした日です。(2012年から2013年にかけスニーカー市場が飽和状態なため、アディダス社は商品構成の一層を決定。
スタンスミスの生産を中止していました。)アディダスは、ファレル・ウィリアムスやエレン・デジェネレスなどインフルエンサーに靴をプレゼント。ポートレートをスターの顔に置き換えました。
人気トーク番組「エレンの部屋」のホスト、エレン・デジェネレスさんには、ポートレートをアレンジした特別バージョンをプレゼント。
同年、ファレル・ウィリアムス氏とのコラボがスタートしています。
![adidas Originals x Pharrell Williams Stan Smith “Tennis Pack” (2014)](http://suniken.com/wp-content/uploads/2019/03/adidas-pharrell-stan-smith-2014.png)
adidas Originals x Pharrell Williams Stan Smith “Tennis Pack” (2014)
via adidas
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