プーマ(puma)ヒストリー
1924年 ドイツ・ニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラッハにて
アドルフとルドルフのダスラー兄弟によって設立された靴製造の会社、
ダスラー兄弟社(Gebruder Dassler Schuhfabrik
ゲブルーダー・ダスラー・シューファブリック) が前身。
1927年 『ダスラーシューズ』と呼ばれる短距離用のスパイクシューズ誕生。
1932年 ロサンゼルスオリンピックで ダスラー社のスパイクを履いた
ドイツ人陸上競技選手、アルトゥール・ヨナート(ARTHUR JONATH 1909-1963)
が、100M走で銅メダルを獲得。この成果によってほとんどのドイツ人アスリートが
『ダスラーシューズ』を履くようになります。
1936年 ベルリンオリンピックにて、アメリカの陸上競技選手
ジェシー・オーエンス (JAMES CLEVELAND “JESSE” OWENS 1913-1980)
が、男子短距離、走り幅跳びなどで、4つの金メダルを獲得。
彼が履いていたスパイクもダスラー社製のシューズでした。
1948年 兄弟の意見対立により『ダスラー兄弟社』を解消。
兄、ルドルフは『ルーダ社(RUDA)』を設立。
※Ruda →Rudolph Dassler
弟、アドルフは『アディダス社 (adidas)』を設立。
同年 ルーダ社を『プーマ・シューファブリック・ルドルフ・ダスラー社』に改名。
(翌年1949年に改名という記述もあります)
プーマ初のサッカースパイク プーマ・アトム(PUMA ATOM)を発表。
1969年 アメリカンフットボールで、ニューヨーク・ジェッツのクォーターバック、
ジョー・ネイマス(Joe Namath) が、プーマのスパイクを履き、チームを
アメリカ最大のスポーツイベント『スーパーボウル (Super Bowl)』第3回大会へ導きました。
1973年 NBAニューヨーク・ニックスのバスケットボールのスーパースター
ウォルト・クライド・フレイジャーと契約。 (WALTER”CLYDE”FRAZIER 1945- )
ウォルト・フレイジャー愛用した『プーマ・バスケット(PUMA BASKET)』のスウェードモデルは、
シグネチャーモデル、プーマ・クライド(PUMA CLYDE)として人気モデルに。
サッカーの分野では、1970年代
『オランダ史上最高のサッカー選手』と言われる
ヨハン・クライフ(JOHAN CRUIJFF)、
ウルグアイ代表の『王子』エンツォ・フランチェスコリ(ENZO FRANCESCOLI)
そして『サッカーの王様』ブラジルのペレ(Pele)、をサポート。
現在もサッカーシューズとしても第一線で活躍しています。
2007年 グッチ、イヴ・サン・ローランなどのライセンスを持つ
複合企業PPR(現在商号変更により「ケリング」)の傘下に。モードの分野に進出するプーマに注目が集まっています。
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