“Stars and Stripes” 1978 adidas ad image from adidas
カリーム・アブドゥル・ジャバーやビリーナイト、ダグ・コリンズのようなスター選手はアディダス品質である「3ストライプ」のフットウエアを選択しています。
1978年のアディダス・バスケットボールシューズの広告。
1976年にアディダスとスポンサー契約を結んだNBAのスタープレーヤー「カリーム·アブドゥル·ジャバー」のシグネチャーモデルをメインに、「プロモデル※」(Promodel)と、「シューティング・スター※」(Shooting Star)をフィーチャーしています。
「スター選手※」のイメージには「アブドゥル·ジャバー」の写真を掲載し、さらに当時のNBA選手「ビリー·ナイト」「ダグ·コリンズ」の名前を挙げ、アディダス・シューズが第一線のプロ仕様であることをアピールしています。
「あなたがスコアを伸ばしたいのであれば、今日から勝者アディダスに参加しよう。」
adidas Abdul-Jabbar white, Shooting Star image from adidas
(写真上)レザー製オールホワイトのハイカットシューズ「アディダス・アブドゥル·ジャバー・ホワイト」キャンバス製ローカットシューズ「シューティング・スター」。
※ プロモデル(Promodel)
Kareem Abdul Jabbar and adidas Promodel image from adidas
(写真上、左より)「カリーム・アブドゥル・ジャバー」と「プロモデル」。
広告のハイカット・シューズには「プロモデル」と書かれていますが、デザイン的には同時期に発売された「スーパースター 2」のハイカット・バージョン。当時大々的にプロモーションを行っていた新素材「カンゴーラン」を使用した派生モデルです。
adidas Superstar 2 Cangoran basketball shoes 1976 image from adidas
(写真上)アディダス1977年の広告より「スーパースター」の廉価モデルとして数年の間流通した「アディダス・スーパースター 2」。
adidas Promodel 2 and superstar image from adidas
(写真上)1976年のアディダスカタログに掲載された「アディダス・プロモデル」と「スーパースター」。「ホワイト / オレンジ」の「プロモデル」は広告と同じ配色です。
こちらのカタログでは、プロモデルが「プロモデル 2」、スーパースターがそのまま「スーパースター」とネーミングされ、「プロモデル2のアッパーはカンゴーラン製。そのローカットモデルがスーパースター」と書かれています。
※シューティング・スター(Shooting Star)
adidas Americana and Shooting Star
image from adidas
(写真上)1978年のアディダスカタログより。5と6はアメリカーナ(Americana)。7、8、9は、シューティング・スター(Shooting Star)です。
1970年にアディダス初のナイロンメッシュアッパーのバスケットボール・シューズとして登場した「シューティング・スター」。その後リリースされたABAのオフィシャルシューズ「アメリカーナ」に、定番メッシュシューズのポジションを明け渡すことになりますが、1978年のカタログではキャンバスアッパーモデルとしてデザインも一新、復活します。
カタログには、写真の「ホワイト/ブルー(ストライプ)」のハイカット/ローカット、「レッド/ホワイト」のローカットに加え、「レッド/ホワイト」のハイカットバージョン、「ブルー/ホワイト」と「ブラック/ホワイト」それぞれ、ハイカット/ローカットのバリエーションがある、と書かれています。
adidas Shooting Star 1970 image from adidas
(写真上)1970年のアディダスカタログに掲載された初期のシューティング・スター。「バスケットボールシューズとしては唯一のナイロン製エアネットアッパー」と書かれています。
※ カリーム・アブドゥル・ジャバー(Kareem Abdul-Jabbar)
“Kareem Abdul Jabbar” NBA Basketball Card 1978-1979 image from NBA
1947年ニューヨーク生まれ。身長7フィート2インチ(218cm)の高さを生かしたショット「スカイフック」を武器に、大学時代から頭角を現し、(当時全米大学チャンピオンだった)UCLAでは2年生でレギュラー入り、在籍中NCAAトーナメントでは3年連続優勝し、トーナメント最優秀選手賞を3回受賞。
1969年1位指名でミルウォーキー・バックスに入団し、1989年の引退までの20年間NBAの第一線で活躍した。(ミルウォーキー・バックスには1969年–1975年まで、ロサンゼルス・レイカーズには1975年-1989年まで)。
通算得点38387点の(現在歴代1位である)記録を持ち、優勝6回(ミルウォーキー・バックス:1971年、ロサンゼルス・レイカーズ:1980年、82年、85年、87年、88年)オールスターゲームには19回出場し、シーズンMVPは6度獲得。
※ ビリー·ナイト(Billy Knight)
“Billy Knight” NBA Basketball Card 1978-1979 image from NBA
1970年代のインディアナ・ペイサーズ(Indiana Pacers)の得点王として知られ、ABA、NBA時代にそれぞれオールスターゲームに出場した名選手。(この広告の)前年(1977年)バッファロー・ブレーブス(Buffalo Braves 現ロサンゼルス・クリッパーズ)に移籍、さらに翌年ボストン・セルティックス(Boston Celtics)に移籍するも、同年ペイサーズへと戻った。ポジションはスモールフォワード / シューティングガード。
※ ダグ・コリンズ(Doug Collins)
“Doug Collins” NBA Basketball Card 1978-1979 image from NBA
1973年イリノイ州立大学卒業後、フィラデルフィア・セブンティシクサーズ(Philadelphia 76ers)からNBAドラフト1位指名を受け、引退までシクサーズに在籍。シューティングガードとして活躍した。
当時「9勝73敗」というNBAの歴代最低記録をもつシクサーズを、ダンクシュートの名手「ジュリアス・アービング(Julius Erving)」と共に得点王として支える。在籍時には優勝を果たすことは出来なかったものの、シクサーズを1966年-1967年以来の強豪チームへ導いた。
“Stars and Stripes” 1978 adidas ad image from adidas
(写真上)トップの広告とはレイアウト等若干異なる、モノクロバージョン。
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